ヒスイって何だろう?
 
ひすいって何?

ひすい(翡翠)は宝石の一種で、特に東洋で人気の高い宝石です。

日本のひすいの産地

糸魚川地域(青海・朝日・小谷・白馬を含む)が最大の産地です。このほか、鳥取県若桜(わかさ)町、兵庫県 養父市大屋(おおや)、岡山県新見市大佐(おおさ)、長崎県長崎市(三重・琴海)、北海道 旭川市・幌加内町、群馬県下仁田町、埼玉県寄居町などからひすいが発見されます。宝石になるようなきれいなものが多産するのは糸魚川ですが、若桜からはラベンダーひすい、長崎市琴海からは灰緑色のひすいを産し、宝石にはならないまでも、なかなかきれいなものがあります。

世界のひすいの産地

ミャンマー、ロシア、カザフスタン、アメリカ、グアテマラなど

日本でひすいの利用

約5000年前の縄文時代中期に糸魚川で縄文人がひすいの加工を始めました。これは世界最古のひすいと人間の関わり( ひすい文化)です。その後、弥生時代・古墳時代を通じてひすいは非常に珍重されましたが、奈良時代以降は全く利用されなくなってしまいました。そのため、糸魚川で ひすいが採れることも忘れ去られ、日本にはひすいの産地はなく、遺跡から出るひすいは大陸から持ち込まれたものと昭和初期まで考えられていました。

ひすいの発見

昭和13年(1938) 、夏前のこと。糸魚川の偉人・相馬御風さんが知人の鎌上竹雄さんに、昔、糸魚川地方を治めていた奴奈川姫がひすいの勾玉をつけていたので、もしかするとこの地方にヒスイがあるのかもしれないという話をしたそうです。鎌上さんは親戚の糸魚川市小滝に住む伊藤栄蔵さん にその話を伝え、伊藤さんは地元の川を探してみることにしました。伊藤さんの住む小滝を流れる小滝川に注ぐ土倉沢の滝壷で緑色のきれいない石を発見しました。この 緑の石は鎌上さんの娘さんが勤務していた糸魚川病院の院長だった小林総一郎医師の親類の東北大学 理学部岩石鉱物鉱床学教室の河野義礼先生へ送られ ました。河野先生は神津俶祐教授の所有していたビルマ(ミャンマー)産のひすいと比較した結果、小滝川で取れた緑色の岩石はひすいに非常に似ていました。河野義礼先生による現地調査の結果、 ひすいであることが科学的に確認され、昭和14年(1939)に岩石砿物砿床学という 東北大学が中心となって発行していた学術雑誌に論文が掲載されました。

ひすいの発見の謎 昭和13年(1938)当時、日本にはひすいの産地がないとされていました。考古学の世界では遺跡から出土するヒスイがいったいどこから来たものかということが、大きな問題となっていました。相馬御風さんも考古学に詳しく、八幡一郎先生など高名な考古学者との交流もあり、日本にヒスイの産地が知られていないことを知っていたはずです。しかし、不思議なことに相馬御風さんは伊藤栄蔵さんが小滝川でひすいを発見したことを知人の考古学者に伝えていないのです。さらに相馬御風さんは個人雑誌『野を歩む者』を発行しており、巻末の身辺雑記には身の回りに起きたこと、訪ねてきた知人のことなど、大変詳細に書いているのですが、その身辺雑記にも小滝川でヒスイが発見されたことや、東北大学の河野義礼先生がヒスイの調査に来たことなどが書かれていません。相馬御風さんは亡くなる昭和25年(1950)まで糸魚川で発見されたヒスイのことをまったく触れていません。どうして相馬御風さんはヒスイについて沈黙を続けたのでしょうか。ヒスイの発見には数多くの謎があります。
ひすいの色

緑色が最も有名ですが、それ以外に白・淡紫・青・黒・黄・橙・赤橙などの色があります。日本では橙〜赤橙色の ひすいは発見されていません。

ひすいの主成分

ひすいに含まれる元素の主なものは、ケイ素、酸素、アルミニウム、ナトリウム、マグネシウム、カルシウム、鉄、チタンなどです。

ひすいを構成する鉱物

ひすいは、ひすい輝石からできているというのが定説でしたが、緑色の部分にはオンファス輝石という鉱物があることがわかってきました。 また、淡紫色のラベンダーヒスイはチタンを含むひすい輝石、青色のひすいには、チタンを含むオンファス輝石、黒色のひすいには石墨が含まれており、それぞれ色の原因になっています。

2種類のひすい 硬玉と軟玉

これまで多くの教科書で、ひすい(jadeジェイド)は、硬玉(jadeiteジェイダイト)と軟玉(nephriteネフライト)の2種に分けることができ ると書いてありました。普通、宝石店で販売されているひすいは硬玉の方で、価格的には硬玉の方が高価です。宝石店に行って「ひすいを見せて下さい」と頼んだとします。店員さんは「硬玉と軟玉のどちらにしましょうか?」などとは言いません。このように ひすいといえば普通は硬玉のことを意味しています。
 硬玉という呼び方はほとんど死語になっており、多くの分野では単にひすいと呼んでいます。硬玉という用語をいまだに使っているのは考古学の世界ぐらいです。一方、軟玉(ネフライト)の方は宝石や考古の分野など広く使われています。
 日本では太古の昔からひすい輝石からできている硬玉と、角閃石(透閃石、透緑閃石)からできている軟玉をきちんと区別していましたが、欧米はそうではありませんでした。明治時代に欧米の科学が日本に輸入され、地質学の近代化か進められたとき、硬玉と軟玉の区別があいまいだった欧米の見方が導入されてしまったのです。欧米では硬玉と軟玉の混同がいまだに見られ、場合によっては蛇紋岩すらもひすい(Jade)というラベルがつけられていることがあるぐらいです。緑色をした緻密な石はみんな『Jade』になってしまうのは困ったことです。

 フォッサマグナミュージアムでは、

大部分がひすい輝石やオンファス輝石などからなるもの 
         → ひすい、ひすい輝石岩、オンファス輝石含有ひすい輝石岩
大部分が透閃石〜透緑閃石からなり、緻密なもの → 軟玉(ネフライト)、透閃石岩、透緑閃石岩
  と呼ぶことにし、硬玉という用語は使わないことにしています。